milq’s diary

のんびりマイペースな徒然日記

トラウマ

12/1

0:44

当直のドクターの診察。

傷口やその他膣からの異常出血はナシ。

 

診察室に着いてから、

赤ちゃんのお世話ができないほどフラフラになったことの情けなさ

診察の恐怖(傷口を触るので、もう内診が怖くて仕方ないことがトラウマ)

この後自分がどうなるのかの不安

など、産後特有のメンタルの乱れ&産後の手術による恐怖でさらに弱ったメンタルなので、

泣く。

 

自分よりだいぶ若いであろう助産師さんが寄り添ってくれたことと、

たくさん泣いてスッキリしたのと、

その後旦那さんとLINEできたことで

貧血はどうにもならないけどメンタルが落ち着けたので、

子供を新生児室に預けてひと眠り。

貧血

二晩くらいがんばって24時間母子同室&母乳育児をしてみたけど、

泣く我が子に対応しようと起き上がっても、貧血のためそのままベッドへ倒れこんだり、

直母で上手に吸えていない息子の体重が規定よりも減ってしまい、

母子ともにボロボロになってきたので

産後3日目か4日目にして人工乳デビューを果たし、夜間ナースステーションで子供を預かってもらうようになる。

 

11/30

実両親がお見舞い&赤ちゃんに会いに来てくれた。

元気?な姿を見せられて一安心。

でも、私の顔色の悪さに驚いていた。

 

夜中に寝ていてもぐるぐる回っている感じ(めまい)がして吐きそうだったので

ナースコールでへルプを出す。

ナース(助産師)ができる範囲でチェックしてもらったら貧血がより深刻になっているとのこと。

担当医ではないが当直のドクターに相談したら、もう少し経ってもう一度チェックし、それで規定値に達していなかったらもう一度輸血をしたほうがいいかもしれないとのこと。

 

またぶっとい針を手首に刺すのか…

点滴の針が刺さったままだけど、この針があると赤ちゃんのお世話がしづらい。

産後1日目

出産から約24時時間後。

 

11/28

14:00

産科の一般病棟へ車いすで移動。

 

一般病棟のロビーに旦那を発見!

私:笑顔で手を振る。

夫:めっちゃげっそりした顔でへにゃっと笑って手を振り返す。

私:おチビ(名前決まっているのですが、内緒)は?

夫:看護師さんがあっち(新生児室)でメディカルチェック中。

 

数時間しか経ってないけど、旦那さんの顔を見ることができて嬉しかった。

 

病室に到着し、少ししてから

コットに眠る息子が運ばれてくる。

 

とにかく愛おしい。

 

しかし!

 

初産故、どうしたらいいのか全く分からないのに、

何の躊躇もなく普通に抱っこしていた。

本能なんだねー。

 

助産師さんがきて、病院に到着してからの息子の様子の説明があり、

息子への授乳方法のレクチャーを受ける。

そして、子供が寝ている間は「寝顔を見るのは少しだけにして、とにかく寝るように」とのお達しを拝受する。

 

2300mlも血液を失った私は、輸血をしてもらったけど、

それでも深刻な貧血患者でもある。

だから、睡眠と食事はしっかり摂ることを推奨される。

 

母子同室&母乳育児を推奨するN病院。

貧血であっても可能な限り頑張る。

 

 

嵐の翌日

一晩明けて、麻酔もだんだん切れてきて、少しずつ動くようになってきた。

 

麻酔のおかげで…

上半身の使い方が妙にうまくなった。

下半身不随の体験ができた。

赤ちゃんは元気だろうかと思う余裕が出てきた。

ナースは助産師の資格を持つ人だったので、

病室内の機器や点滴について、簡易トイレや産科的なことなど興味の湧いたことをたくさん質問して気を紛らわせたし、意外と充実した時間になった。

 

N病院で私を担当してくれる産科のドクターがきて

・出血は2300mlだったこと(生命の危険がある量。私の全身の血液の約55%相当)

・次から何かあればCT造影剤のアレルギーがあることと輸血経験があることを申告しましょう

・午後から一般病棟に移ること

・そこに旦那さんが生後1日目の息子を連れてくること

などを言われた。

 

午後、やっと旦那さんと息子に会える!

 

嵐がくる

陣痛開始から3時間、分娩室に入ってから38分というスピード出産で

我が子に会えた私たち夫婦のもとに

嵐がやってくる。

 

股に違和感というか痛みを覚えたので先生に申告したら

「いま赤ちゃんが通ったばかりだから違和感があるのかもね。少し血腫があるけど、時間とともに引くと思うから、2時間ほど様子を見ましょう」と言われる。

 

2時間分娩室でゆっくりしてたけど、違和感は強い痛みに変わる。

後産はすんなり終わり(胎盤を見せてもらったけど、生レバーみたいだなーって印象)、おなかの中はきれいさっぱり。

 

強い痛みが引かないので、先生に診てもらい、

膣壁血腫をつぶし?切って、縫ってもらった。

この時の麻酔が効いていなくて(本当は効いていたのかもしれないけど、当時の私には効いていないような気がしていた)

メスで血腫を切る感触も

針が刺さる「ちくっ」も

糸が通される「すーっ」も

しっかり感じ取れ、地獄のような痛みを感じる。

痛みに耐えきれず、陣痛時とは比にならないほど発狂する。

でも、処置している股は動かしてはならないという意識が働き、

発狂するけど、下半身はがんばって動かさないように耐える。

でも痛い。

 

痛い。

 

痛い。

 

怖い。

 

寒い。

 

怖い。

 

痛い。

 

脚が震えてきた。

 

顎がガクガクして歯がガチガチしてきた。

 

怖い。

 

怖い。

 

寒い。

 

怖い。

 

 

血圧は乱高下し、

一時、血圧が70/30くらいまで下がる。

 

先生が険しい顔で近隣の大きな病院だかレスキューに連絡。

でも、受け入れ先が見つからず。

最終的には

「スーパー母体搬送※というシステムでN病院へ転院して治療しましょう」と。

 

※東京都で2009年から運用されているシステム。救命を要する妊産褥婦を”必ず”受け入れるシステム。

 

そこから救急車に乗ったレスキューの人が到着し、

あっという間にストレッチャーに乗せられ、

「●●ちゃんはしっかりココでお世話するから、安心して治してきてね。がんばってね!」と

息子を抱いた病院スタッフに見送られ、

院長先生と、旦那さんと救急車でN病院へ。

 

寒さといろんな不安と恐怖と「ここで意識飛ばしている場合じゃない」って気持ちで

意識を保つ。

 

救急車の中では先生と旦那さんとレスキューの人がおしゃべりしているので、

そこに混ざってみる。

 

「体力減るから無理してしゃべらなくていいよ」と先生に言われ、周りの人の話を聞く。

内容はもう忘れた。

 

産院出発からおよそ30分後、

N病院に到着し、産院の院長先生が救急救命のコーナーで待ち構えていた先生に状況を手早く引き継ぎ。

同時に出血箇所の特定をするため、問診、内診、CTを手際よく進めていく。

 

私はこの時スーパー母体搬送やN病院についての知識が何一つなかったので、

問診に答えつつも、先生に「こういう産婦はたくさんいますか?」と聞いていた。

そうしたら、「たくさんいるよ。こういう事態には日本一強いつもりで仕事しているから、安心して。僕たちは、コウノドリみたいな存在だよ」と返答があり、安心する。

 

CTの造影剤にアレルギー反応を起こし、喉がかゆくなり、鼻がつまり、まぶたや唇が晴れていく。

呼吸がしづらくなり、呼吸器を装着される。

 

もう一度膣壁血腫を切って縫い直すといわれ、

産院での痛みを思い出し、パニックを起こす。

 

処置室にパニックを落ち着かせるための音楽が流れ、ナースが手を握ってくれて、先生に背中に打つ麻酔(無痛分娩の麻酔と同じかな?)を打ってもらったら、

だんだん感覚が遠のき、なんとなくジンジンしびれる感じだけが残るけど、

気持ちが落ち着いてくる。

 

順番は覚えてないけど、点滴を行い、血腫をサクサク切って、縫ってを行い、左手の手首の動脈に輸血を行い、処置が終わる。

EICUに運ばれる。

 

EICUの個室では

人工呼吸器、数本の点滴(オキシトシンと補液だったかな?)、尿道カテーテルなどたくさんの管に繋がれ、24時間体制でナースが1人つきっきりでそばにいてくれる。

 

一息ついたところで、入院の手続きを終えた旦那が病室に来た。

ずっと自分の子御tばかりで気が付いていなかったけど、彼の顔は青ざめ、ぐったりしていた。

私は…CT造影剤のアレルギー反応で見るも無残な顔にはれ上がっていた。

負け試合後のボクサーみたいにボコボコにはれ上がってる感じ。

旦那さんはそんな私の顔をみてギョッとしたはずだけど、

私が不安に思わないように平静を装ってくれていたと思う。(後から聞いたらやっぱりそうだった)

 

そして、携帯持ち込み禁止なので、私のスマホは旦那さんが持ち帰る。

 

専属ナースがいたけれど、

時間もわからず、誰とも連絡が取れず、旦那の電話番号も暗記していないので、なんとも心細い。

初めての搬送、入院だったことも心細さを助長していたのかも。

 

背中に打ってもらった麻酔はしっかり効いて、

麻酔の効果が切れるまでは下半身不随。

患部の出血の状況などを確認する時や着替えなどの時に、動かしたいのに腰がまったく動かない。

脚も足の指も動かない。

下半身不随ってこんな感じかーと妙に感心しつつ、不便を実感。

 

一晩ここにいて、落ち着いたら産院に戻りたかったけど、

また出血したら?など心配も尽きなかったので、このままN病院にお世話になることに。

陣痛・出産

11/27

12:00

促進剤増量・ランチ・旦那さん到着。

痛みで食が進まない中、痛みと戦う。

5分おきの痛みの波。

昨日までの穏やかさが嘘のように、痛みが押し寄せる。

 

時間不明

ひたすら痛みと戦う。

私の場合は腰の下の方(尾てい骨のちょっと上)をさすってもらったり、テニスボールで教えもらうと痛みが和らいだ。

最初はうまくいきみの逃しができていたが、

だんだん痛みに耐えきれず大きな声で叫んでしまう。

「声を出して叫ぶと体力つかって、大事な時にいきめなくなっちゃうから、今は声を押さえようね」と助産師さんに注意されるも、コントロール不能

 

14:00

子宮口全開。

分娩室へ。

陣痛室から分娩台までは10歩くらい。

でも、その10歩がつらかった。

股に何か挟まっている感覚で、うまく歩けず、

超内股で、膝から下だけを動かしてちょこまか10歩歩き、分娩台へ。

旦那さんとは一旦ここでお別れ。

 

2~3回いきんで、

(先:先生 助:助産師)

先:「会陰切開したほうがいいねぇ。切るよー。」

    でプチッと切られ(痛みは感じなかった)

私:(うなずく)

助:「発露~!」

  「頭出てきたよ!」

  「赤ちゃんの髪の毛フサフサだよ。黒々してる!」

  「はい、いきんでー」

私:「うーーーー」

みたいな感じで、あと2回くらいいきむ。

 

14:38

生まれた。

3000g弱の元気な男の子。

初めての我が子は「どっかで見たことあるな」って感じの顔で不思議と「はじめまして」感がなかった。

そして、やっと会えたことに感動と、達成感。

 

達成感に浸っている間にサクサク会陰縫合。

この時は「股、触られてるなー」って感覚だけで、痛みはなし。

 

赤ちゃんのメディカルチェックと、身支度をして、カンガルーケア&旦那さん分娩室で赤ちゃんと私にご対面。

家族3人で初めて写真を撮ったり、両家の両親にLINEで出産報告したり、幸せな時間が流れる。

 

陣痛促進剤2日目

11/27

6:00

起床。

他の部屋の赤ちゃんたちは上手にミルクを飲めるようになり、昨日のような大合唱はなく、助産師さんに起こされるまで寝ていた。

血圧:118/74

臨月にいる前の数値に戻っていた。

 

シャワーを浴びさせてもらえたので、身を清め、身支度をして、いざ陣痛室へ。

 

6:50

おなかにモニターをつける。

 

7:00

陣痛促進剤の点滴開始。

 

7:20

点滴の量を増やす。

 

8:04

朝ごはん!

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陣痛食だが、量は私向け(笑)

今朝もおいしかった!満腹。

お料理の評判もいい病院なので、ハズレがない。

食後に抗生剤を飲んだ。

 

少しおなかが張るようになってきたけど、痛みはまだない。

 

9:04

促進剤の点滴を増量。

痛みはまだない。

 

10:10

血圧:117/71

問題ない数値で安心。あと10~15分で院長先生の診察。

遠くで院長先生の声がする。ご出勤されたようだ。

 

10:17

院長先生の診察。

内診で赤ちゃん尾頭の位置や子宮口の大きさを確認し、人口破膜した。

人工破膜は大きなピンセットのような器具でつまんだ感じ?

痛くなかったけど、巨大ピンセットが怖くて顔をタオルで覆ってみた。

そして、促進剤増量。

 

10:30

破水させた成果、じんわり腰に痛みが出始める。

記録をつけたりドラクエウォークでレベル上げしていたら気にならない痛み。

 

11:09

血圧:114/79。良好。

促進剤も増加。

赤ちゃんの胎動もあるし、心拍も元気。

痛みが増してきたけど、眠気が勝っているので、今のうちに寝て体力温存。

 

11:22

おなかの張りと痛みが連動してきたようで、痛みでしかめっ面になる。

それでもまだ経験したことのある痛み。普段の整理なら痛み止めを飲むくらいの痛み。

痛みの波がない時は同じ姿勢を続けていることによる腰痛のみ。

 

12:00

促進剤増量とランチ。

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昨日はもりもり食べられたおにぎりが、今日はのどを通らない。

ほっこりできる味のお味噌汁も、今日は少ししか飲めないほど痛みが増してきた。

旦那さん到着。

これから陣痛本番。